めがねぱんち

雑記帳

家族という宗教

安倍晋三元首相が、奈良に住む私のすぐそばで襲撃され亡くなりました。犯人について、母親が統一教会の信者で、その恨みによる犯行という話が、海外の報道がソースとしてTwitterで流れて、今日はテレビでも流れています。

私は、宗教にも家族にも、愛憎を人より持っていると思うので、頭と記憶の整理もふまえて書きます。TLではない場所なら、なんか許される気がしているので最近記事多いな。いきます。

 

私の祖母は、熱心な創価学会員でした。戦争体験者の大正生まれで、母が赤ちゃんの頃に離婚を経験しています。今よりずっと離婚率が低く、女性の地位が低かったとき女手一つで生きて子供を食べさせて育てるのはとても大変で、宗教の友達に仕事を紹介してもらったり色々と助けてもらった話を聞いたことがあります。母からは、バブルの頃には数億円の寄付をしていた、許せないという話を後年聞いたことがあります。

私がお題目を唱えさせられてた頃は幼すぎて少ししか記憶がないし、大きくなる頃には学会のゴタゴタで祖母が学会から離れたので、実際にどうだったかは知りません。

 

母は祖母から、叱責で、定規で殴られることがよくあったそうです。母の進学先は祖母が決め、無理やり高校で寮に入れられた、学会にも無理やり入らされた、本当に嫌だったから、あなたたちには同じ事はしないと、私と姉に言っていました。まあ、しました。そうはならないという自己暗示だったんでしょうし、祖母と自分に負けたんでしょう。仕方ないね。

 

さて、学会のゴタゴタから離れた祖母は、別の新興宗教に入ります。大人になってから知ったんだけど、新興宗教をハシゴするのはあまり珍しくないみたいですね。一人が抜けて別のところに入ると、友達が塾かえるなら私も〜みたいなノリで移っていくみたい。

うつった先は、テカザシ系教会です。

偉い人の手を頭や患部にかざすと仕事や学業がうまく行ったりガンが治ったりする!ってものです。とてもよくあるやつです。

ここには10年以上いて、教会にもよく連れて行かれたので施設や習慣などの記憶はありますが、詳細は省きます。

母は祖母に勧誘される形で付き合っていて、私と姉と父は母に強制的に連れて行かれていました。

小学校高学年から中高生くらいの時期だったので、毎週末に新興宗教の施設(派手でピカピカ)に家族で行く異質さみたいなものは気づいていたし、我が家はお小遣い制じゃなく欲しいものがあれば母を説得してお金をもらう制度だったので「そんなの買わないわよ、うちは貧乏なんだから」とよく言われていて、貧乏なのになんで教会に毎週何万円も払うんだろうと不満もたまっていました(当時は貧乏を信じてたけど、普通にうちは裕福なほうだった)

 

母と宗教への嫌悪が決定的になったのは高校受験の時。

私は反抗的だったので母に叱られる毎日。母との確執や素直に愛される姉へのコンプレックスで、姉よりも偏差値がいい高校にぜったいに合格すると、意地で勉強をがんばっていて結果合格したんです。

褒められたことほとんどないけどさすがにこれは褒めてもらえるだろう!と母に報告した私に母が言った言葉は「すごい、よくお祈りしたおかげね」でした。

あー、母の中で、私がした失敗や反抗は私のせいで、私がした成功は宗教や母のおかげになるんだな、という絶望。ちなみに母はこの言葉や過去を覚えてません。母曰く私は悲劇のヒロインに酔ってるだけだそうです。ソウカモネ。

 

私は高校中退して、16歳で家をでました。男性と同棲したり、フリーターなどをやって数年過ごしました。当時の彼氏から両親に「めがぱんのことを否定するだけじゃなく話を聞いてあげてほしい」と話してくれることもあったけど「若い男に何がわかる」という感じで全然無理でした。でも、家以外の、外の世界なら私の味方になって愛してくれる人もいるんだなと思えたのはありがたかった。

 

20代のころ、姉が死にました。そこでやっと、母も祖母も宗教をやめました。あんなにお祈りしたのにって私に言われても、嫌悪感しかなかった。そういうとこやぞ。

姉のことの恨みや、泣いて話すのを、私が仕事終わった後に毎日聞きつづける日々がはじまりました。私も疲れてるとかしんどいとか私にも将来と生活があるからと言うと「冷たい」「ひどい」「こんなこと家族にしかいえない」「育ててやったのに」と責められます。そこに宗教、本当は福祉や医療を使えよと思う。

以前からわりとそうではあったんですが、母と娘の関係が逆転し、母に甘えた記憶がないまま、母に甘えられる立場になりました。

 

祖母は数年前に亡くなりました。今、私と母はほぼ絶縁状態なのですが、最後まで「いつかはまた仲良くできるわよね、母をよろしくね」と言っていました。祖母はおそらく母にとっての良い母ではなかったけど、私にとっては良い祖母でした。趣味も合ったし、好きだった。

 

 

脱線がやばいので省略し、紆余曲折ありまして。今の夫と結婚して奈良に住むことになりました。奈良は有名な神社仏閣もたくさんあるし、道端にお地蔵さんがたくさんあって。宗教が生活に根付いていて、お水やお花を取り替えたり掃除してたり祈ったりする人をよく見かけます。

夫の実家では毎月、月命日にはお寺さんがきて、仏壇にお経をとなえて世間話をして、仏壇の横には数千円を封筒に入れてて、それを持って帰ってもらう。

こういう生活をしている人がいるんだな、と思ったし「宗教」って雑な括りで嫌悪するのはおかしいなと、自然と思いました。自分のためで人のためだったり、文化だったり、コミュニティだったり、話し相手だったり、支え合いだったりするんだな、と。

 

奈良では、東京にいるときより、知らない人に話しかけられたり親切にされたり、話しかけたりすることが増えました。

駅で舌打ちされたり歩いてる人に暴言を吐かれたりすることもないし、奈良交通は走っておいかけるひとをバスを停めてのせてくれるし、なんだか街がゆったりしています。

引っ越してきてから知ったのですが、奈良の自殺率は全国で1番低いそうです。

 

奈良に住んで10年、新興宗教だけの話でいうと

奈良市の隣には、新興宗教天理教で有名な天理市があります。いぜん難しい病気で「あそこなら治療してくれます」と紹介されたのは、天理教が運営している病院でした。信者以外の患者も受け入れる先進医療の病院です。天理教の信者の方と一緒に仕事をしたことがありますが、天理教に勧誘されたことは一度もありません。

創価学会には、デパートの屋上で座っていたときに一度勧誘されたことがあります。興味ないですと言ったらごめんなさいねと去っていきました。選挙の時に「あーこの人そうなのねー」と思うことはありますが、良い人だったらその後も普通に仲良くするし何も思わない。

エホバと幸福の科学はチラシ入ってたことがあるくらいであまり知らない。

統一教会系は今まで接点が全くない。習慣は、事件の前からネットで読んで知ってました。

 

さて。話を最初に戻すと

今回の安倍元首相の事件も、宗教のせいというよりは、家族や子供の孤立と確執じゃないか?と、宗教3世(?)の、私は思います。

親の金は親の金で、使い道は子供にはどうしようもないので、親が変わらないなら、子供が離れるしかない。きついけど。

統一教会だとか、宗教だとか、セミナーや自己啓発だとか、対象が何なのかは、あまり関係ないと思います。

 

「家族みんな仲良く」「親は子を、子は親を当然愛するもの」「愛は悲劇をうまない」いう宗教から脱して、親を捨てなきゃいけない。親を恨むのが、ゆるすのが、つらいからといって、外部の、他のものを憎んではいけない。

私は今も、そうしています。

 

生まれたときの家族は自分で選べないけど、結婚して新しくつくる家族は自分で作れるし、悲しいなら連鎖はどこかで絶たないといけない。家族はその数だけいろんな形があることも、結婚してから学びました。結婚はいいぞ。

 

生きづらいなら、武器をつくることより、病院や行政に頼れたり、お友達や恋人やなんでもいいけど、自分にとっての居場所とか味方がいたら、現実は違っていたかなとか思って、ニュースを見ています。

病院や行政は、自分からきてくれる人しか救えないし、思い通りの対応してくれないこともあるけど、人に頼ることを、助けてっていうことを、諦めてほしくないと思う。

 

すべての命と平和に、祈りを込めて。